ムラカミhateblo

村上春樹・読書会のハテブロです♪

第四回 『木野』

agesさんとほぼふたりで始めた当読書会ですが今回で4回目!

0回も含めると5回目で、5回も続けば立派な活動かなと思い、ゼロから立ち上げたことを考えるとちょっとした感慨があります。

 

さて、第四回は久しぶりに全員集合か!と思われましたがごとさんが都合でお休み。 
4人で前回に引き続き新刊より『木野』に挑みました。

女のいない男たち

女のいない男たち

 

 

「名前」の意味

冒頭で私が気になっていたことを上げてみました。

家福(kafuku)・木樽(kitaru)・渡会(Tokai)、羽原(Habara)、木野(Kino)・・
今回の短編では実に、ユニークで意味深そうな名前の登場人物が多く登場します。
しかし、どれをとっても「これか」という意味が見いだせません。

家福はカフカを暗示している?(agesさん)という意見も出ました。
個人的にはやはり「禍福はあざなえる縄のごとし」を連想しました。

 

木野はKino。 英語のKinetec(キネテック)、ギリシャ語の「動く」(κίνηση) から来ていて中盤で木野が四国に、福岡に、と巡礼的な移動をすることと関連しているのでは?という興味深い意見も出ました。


深読みし過ぎかもしれません。


あ、いろんな意見があるのでいいのですが、個人的にはあまり暗号的な示唆は意図されていないのかなと思っています。ただ個々に意味や狙いはある気がして、今回は見つけきれませんでしたが考えていきたいな、と。

 

冒頭陳述:この作品を一言で言うと?

 今回も最初に「テーマ」を話しました。

ages:「しなければならない事をしないことの罪」

 なかたに:「致命的な欠陥」 (ねじまき鳥から引き継いでいます)

アッキー:「居場所」

なつみかん:「責任」


どうでしょうか。

割とバラけている印象もあります。 各人スポットを当てている位置が(作中のどの時系列か、についても)違うようにも見え興味深いです。

 

「両義的」

このワードはとても鍵だと思います。
この話で、読書会が(または私が)もっとも発見があったのはこの点でした。

村上春樹の小説は言うまでもなく文学なので、ティピカルな「正義」や「邪悪なもの」という登場はない、とは思うのですが。 やはり理解にあたって「これは悪いやつだ」「これはいいやつや」と自然に自分の中で色付けをしているところがあります

この話でいえば、「蛇」は邪悪なもの。 「神田」は聖なるもの。といった具合に。

その流れで言うと、謎の女は凶寄り? 猫は「善」(幸運) 、暴力的な二人組は悪側であろう。

 

・・・しかし、本当にそうか?


読書会で意見を話し合ううちにそう単純ではないのでは?と議論が深まりました。

 

猫は木野のバーに幸運を運んできた、とあるのでおそらく幸運の象徴である。
ほかの作品でも一定して猫の不在=歯車の狂い始め というプロットは存在するのでそれは間違いないと思う。 


猫がいなくなり蛇が現れ、バーに不吉な影が落ちるとあるので多くの人は「蛇=邪」には違和感がないだろう。

 

ただ伯母が言うように「蛇は元来、両義的な存在」である。
それは邪でもあり、ときには聖でもある。
というよりも、聖と邪、自体、人にとって実は移ろいやすく交換可能なのではないか。

 

そう思ったのには、「神田」の存在と「ドアのノック」の違和感があった。

 

タブーだった「絵はがきに手紙(文章)を書く」を破ったことで何者かに見つかり捕捉されノックが響く。ドアのノックが響くシーンには、「(邪なものに)見つかった!!」というスリルがある。 

(啓示的な禁忌を破り、得体のしれない何者かに掴まってしまう、というプロットは極めてギリシャ神話的なくだりだと思う。)

 

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ー黄泉の国からエウリュディケを連れ帰るオルフェウス

 

このノックは邪だろうか?

前述の「タブーを破り見つかる」という文脈から「邪」の印象を受けていたが、よく読んでいくとこのノックはいろんなものから逃げていた木野に追いつき、何かとつながり、世界と向かい合うことを求める「温かさ」を感じる。

 

木野は逃げていたが、逃げた先に解決はない。

 

このノックは木野にとっては「避けたいもの」であると同時に「救い」でもある。
やはり、聖か邪かという二律背反的な話ではない。

 

そう。両義的なんだと思うのだ。

 

 

タグトピック:「ノック」=1Q84天吾と父のノック

・・・深い考察はまだできていないのですが、追いかけてくるノックというモチーフは一緒だなと思いました。前述のように木野を追うノックは邪悪な印象だけではない一面を感じました。

 

 

 

なぜ「絵はがき」を出してはいけなかったのか

前述の神話の例えで言えば、オルフェウスが黄泉の国を振り返ったようにココにはタブーがあった。それがこの『木野』で言えば「伯母さんに絵はがきを出したこと」であった。

 

味方っぽい伯母に「絵はがきを出す」って、あんまり悪いことしている感じしないですよね。それがタブーになっている理由はどこにあるのか?

 

これについても興味深い話し合いができました。

 

(アッキー)木野は追われている立場であって「危険」にさらされている。絵はがきに差出人や手紙を書いてしまうと届いた先の伯母にまで危険が及ぶかもしれない。 そういうところを考えない身勝手なところ、に対する罰なのではないか?

 

(agesさん)※ちょっと違ってたらスミマセン。

絵はがきを書くことで日常的な社会活動をしてしまっている。(景色だけの絵はがきに自分の文章を”付け加える”というのは、”付加価値をつける”行為であり資本主義的な経済活動の象徴では?) そこには本来向き合わなければならない弔い的な行為を「雑事にかまける」ことで誤摩化してしまっているというニュアンスがあり、そこに邪悪が入り込むのではないか?

 

などいくつか意見が出て興味深かったです。

この答えもみんなで話し合っている間に解けてきたという興奮がありました♪

 

やはり、ノック=邪と捉えると答えが出ない気がします。

 

・木野は逃げていました。(神田に勧められて)
・これは、不貞をはたらいた妻に対して向き合うことができず、傷つくべきときに傷つくことなく、自分の心と向き合うことから逃げる行為です。

・逃げ切りたいなら木野は徹底して逃げるべきでした。そこでは自分の心のうちはやはり隠す必要がありました。

・ただやはり孤独な行為です。一見くだらないように見えるビルの中での資本主義的な(?)経済活動の中でさえも交わされている日常的なコミュニケーションの温かさをホテルの窓から見ていた木野は急に耐えられなくなる。

・そこでついに手紙に自分の心のうちを書いてしまいます。

・宛先以外を書いてはいけなかった、のではなく。自分の心情・内情をひとに伝達すること(本来の手紙の役割といえます)がココではいけなかったのだと思う。

・いや、結局「いけなかった」とか「よかった」ということではないのですが、自分から逃げようとしていた木野は人とつながることを放棄しきれず、自分の心を捨て去ることに失敗し、結果として再び自分の心に「つかまる」ことになるのだと思う。

(つまり、ノックがそこに現れる)

 

・・どうでしょう。

最初読んだ際にはあまり考えてなかった結論(つまり、ある程度飛躍した結論)なのですが結構「これじゃないかな」という確信を持っています。

 

最後のページのノックについての記述。

「こんこん、こんこん、そしてまたこんこん。目を背けず、私をまっすぐ見なさい、誰かが耳元でそう囁いた。これがおまえの心の姿なのだから

 

 

Topic:「月曜」と「木曜」

 

ここで関連して。

木野が神田に絵はがきを出してと言われていた日は「月曜と木曜」でした。

ことさら博識でこういった記号的なヒントに敏感なagesさんも「なぜ月と木なのか・・」と悩んでいました。

 

agesさんとなつみかんさんは「ねじまき鳥と火曜日の女」でも曜日に注目しており。

火曜日→「火」→「マルス」 火星のマーズに通じる灼熱感を、泰然自若としたモラトリアム的な主人公に対して、資本主義的な活発な経済活動を彷彿とする「火」の対比として捉えていました。

 

背景には陰陽五行的な発想もあるとのこと。

 

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ただ五行には「月」はないので月・木の意味が捉えにくいようです。

ただ何気なく検索して貼ったこの図(ハリマ薬局??)でいうと左上に「月」があり、やはどちらかというと「木」側にあるのでしょうか。

 

ちなみに帰ってから再読していた私、気付いちゃいました。

 

木野が最後に禁忌を破った 最後の絵はがきをいつ出したか?

丁寧に読まないとわからないと思うのですが、あれは「火曜日」に出しています。

「その前日は月曜日だったので、木野はホテルの売店で熊本城の絵葉書を買い求め、そこにボールペンで伯母の名前と住所を書いた。(中略)それから彼は衝動的に葉書を裏返し、空白の部分に伯母にあてた文章を書いた。」(p255)

 

なんと。

買った時点ですでに約束の月曜日は過ぎていました。

そしてやはり「火」 マルスの曜日です。火の持つ灼熱のイメージも前述のように関係があるのかもですが再び陰陽五行に目を戻すと、五行それぞれが臓器を担う中で「火」が司っているものに心臓、「心」の一文字があることも意味があるように思えてきます。 

 

BAR『木野』の存在

春樹自身ジャズバーのオーナーだった のですが、このバーの重厚で渋い感じが『木野』に春樹ファンの人気を集めそうなシブいお洒落な印象を与えています。

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 *扉絵。言わずもがなですが木野のイメージです。

 

 読書会で話していて、ある時「このBAR木野の存在は、人間木野の精神構造を比喩しているのでは?」というアイディアが出ました。

 

▼絵を描いてみたのですが・・

 

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妻の不倫に傷ついた木野が開いたBAR木野。

そんなことがあってはある程度仕方なかったとも感じるのですが、このBAR木野は木野にとって体のいい”逃げ場所”として機能していることもわかります。

バーというところは何人もの客がやってきますが、みな来てはすぐに去っていく場所。一過性であり行きずりの人しか訪れない場所です。(客、Temporaryというメモ)

 

これは過去作品でも登場した主人公の精神世界をよく表していて、みなが入口から入っていき暫く留まったとしても結局出口から出て行ってしまう、そして誰も自分の世界には残っていかない・・という春樹の独特の世界観そのものを表していると感じました。

 

強烈だな、と思ったのはこの絵の中心。

「木野というBARの中に、木野だけが居る」という構図なんです。

これは強烈に孤独。 強烈な自己閉塞感を感じました。

人はそこに一時的に留まることはできるが踏み込むことはできない。
そこは神田に言わせれば「誰にでも心地のよい場所」となってしまっている。

 

別のメモ(下図)に 愛=差別 とメモ書きがあるのですが(恥ずかしいメモだな・・w) 愛って差別じゃないですか。 誰かをほかの誰かより大切に思う、っていう。

BAR木野は誰しもに均等に接する、その分誰をも愛することができない木野の状況を物語っているのだと思いました。

 

メモに「AFTER」とあるのは妻の不倫後という意味です。

で、「BEFORE」がこちら。

 

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妻の不倫以前、妻と結婚していた頃です。

ここに愛があったのであれば家庭という枠の中に木野と妻がしっかりと結びついて存在していたはずです。

しかし、木野は仕事が忙しかったためか出張が多く家を空けて転々としており家には”不在”があった。 

 

不在があるので妻が浮気をする。

ここはベタな展開ですよね。 

「間男」っていう言葉を初めて打ち込んだ気がしますw

 

こう考えると、妻からひどい仕打ちを受けており同情を受けるべき木野にもやはり妻に対しての不義はあったように感じます。

神田が言ったように「正しからざることをしないでいるだけでは足りず」「正しいことを”しなかった”から重大な問題が生じた」ということ。 (p248)

 

前回作から継続して言うなら妻に「あなたはいろんなものを見殺しにしているのよ」と妻に責められるような「僕」の中にある「致命的な欠陥」が今回も影を落としていると感じました。

 

「神田」の存在

最後に神田とは何だったのか? 本作で直接的に書かれているように神田とはBARの前にある柳の木です。

”両義的”の議論に戻ると、神田は一見「善」そのものに見えるが、ノックが「救い」だと捉えるとそこから遠ざけようと助言を続けていた神田がそこまで善きものとは見えなくなってきます。

だからといって悪ではまあないのですが。

 

神田はバーの柳でありBAR『木野』を守るものです。

そのBARは、木野の逃げ場であり木野自身が妻や自分と向き合うことから逃げ込んだ場所。 

 

絵葉書を出すことを止めようとする神田は木野を傷つけるものから守り逃がそうとする純粋善意がある。

神田にとってそれは有り難い「赦し」ではあるかもしれない。

ただ自分と向き合うことが本当の「救い」であるなら本当に木野を救うのは神田ではなく自分を追ってきた厳しくも自分と向き合うことを求める「ノック」である。

 

向き合うこともつらいこと。

やはり、ノックや神田のどちらが善、どちらが邪と割り切れるような単純な問題ではない。

 

「救い」と「闘い」すべては交換可能であり「両義的」 なのだ。

 

 

 

以上。

 

*とても深い話だった。

感想がいつもより散文的になってしまった。

謎の女や暴力的なその相棒、闖入者である2人組など触れられていないが興味深いトピックがまだあるのだがさすがに書きすぎたので控えておきます。

 

代わりに登場人物の相関のようなものを最後にまとめようと思います。

 

『木野』の登場人物

●謎の女: (黒いワンピースの上に紺色のカーディガン)
性的に誘ってくる謎の女。背中には煙草を押し付けられた跡。
木野も妻を傷つけていたかもしれない。
精神的には傷つけていたかもしれないし、夢の中のことや自分が直接関与していないこと、想像の中でも「責任は始まる」とよく書かれており。自分が傷つけているわけでなくてもその暴力の可能性が凶事の始まりと関連しているように思いました.

●木野の妻: (青いワンピース)

謎の女も妻の姿を変えた存在、のように捉えられるかも。

『ねじまき鳥と火曜日の女達』でも性的に誘ってくる電話の女は妻そのものでは?というテーマがあったがプロットは似ている。

 

●猫:よきもの/BARに幸運を運ぶ

●蛇:悪いもの? 両義的な存在。

 猫がいなくなり蛇が登場する。もしかしたら猫は蛇、蛇は猫。おなじもの?

 とくに根拠はないけどそんなことを思いました。

●暴力的なふたり
 ハードボイルドワンダーランドに出てくる2人組を彷彿とさせますよね。

 声をかけるまで「男が意外と巨漢であることに気付かなかった」とあるが、相撲取りほど大きいことに話しかけるまで気付かないなんてことがあるだろうか? というのが個人的に引っかかった。

 ある時点を境に暴力的で粗暴なものにムクムクムクと”変容”したイメージがありました。

●神田:柳の木 彼も両義的な存在。 メモに「ナカタさん」とありました。

 

また、蛇については

褐色(茶)で長いもの=暴力的なふたり 

青みがありぬめりがある蛇=火傷の女・そして妻

 

と対応しているようです。

黒くて短い蛇は「もっとも危険」と感じられているが実際には目にしていなく「弾けとぶように消えた」そう。 これはこれから起こる災厄の象徴のようなもので、しいて言うと連れの男を指しているのでは?という意見が出ました。

 

 

さて、長くなりましたが以上です。

とても刺激的で、話し合うことでたくさんの発見があった、今までの中でも渾身の読書会だったように思います。

 

今回は楽しい街歩きを先にまわし、天気のよい日比谷公園を巡り日比谷〜有楽町あたりをぐるりぐるりと歩き回ったあと、なりゆきで立ち寄った丸の内の「KITTE」の中にあったマルノウチリーディングスタイルとというお店でゆっくり話しました♪

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とても落ちついたよい店でした♪

しかし日比谷公園から始まって丸の内までよく歩いたものです^^

f:id:murakamihateblo:20140510173746j:plain ー丸の内で差し込んだ斜陽

 

最後に東京駅の夜景を見たり

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思えば街歩きから始まって長い時間を過ごしました^^

街歩きのことはまた別途トピックを立てるかもです。

 

次回は何を話すか未定!

うまくいくと新メンバーを誘えるかも、な第5回です。