ムラカミhateblo

村上春樹・読書会のハテブロです♪

【MEMO】神の子どもたちはみな踊る

なぐり書きですが、わたしの手元memoにあったもの書き起こしました。 
感想のおともに!!
 
(案外まとまっている。。w)
 
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◎初期想起のテーマ
ages:再生
なつみかん:自分を受け入れる 
なかたに:神との距離
ごとさん:解放  ー悟り?解放? 解放。
 
 
●解放
父を発見=解決、であったがそれがどうでもいいことに昇華される。
「解放」
ー全体がどうでもいいと思えるときがある
 
あるがままに受け入れること
わかりやすい”悪役”はいない
 
●再生
序盤、破滅的な二日酔いから起き上がる様はそのまま再生、復活の物語
 
時計がなくなる→時間が失われている。
眼鏡がなくなる→距離が失われている。
→『非現実」
 
*物語の序盤から「非現実」モードにあることの象徴?
長編ではもっと噛み砕いて非現実(夢)への導入があるところを短編ならではの略か
 
関連:「ねむり」
 
●同書の別短編「かえるくん」の復活 最後爆発しちゃうかえるくんの復活。
  
●p82 物干し竿 古い物干し竿を新品に交換してくれる。 → ”再生” 
20年前と同じ値段。 20年前(善也の生誕のころの再生?)
 
 
●なまえ
「善きもの」と期待されている。
が、邪な気持ちも持っている。 
 
相容れないものがあったが、ありのままを受け入れる。
成長(復活)の物語?
 
善と悪性の共存。 「清濁併呑」
 
 *ヨシュアの名は新約聖書で言うとイエスであって、"神は救う"の意味です。  とありました。
 
●善也の姓が「大崎」、田端さん
山手線で終点として使われる「田端」と、始点としての「大崎」
おなじ輪の中にある。 始点と終点。
大崎から始まり、田端を経由し、千代田線に父を追いかける??
 
●この物語における「転」は何か?(起承転結の転、何が転機?)
父(?)を見かけ追跡し見失う一連。
p106 顕現と秘跡
ーそこにはひとつの顕現があり、秘跡があったのだ。誉むべきかな。
 
●宗教へのスタンス
一部の特定宗教(新興宗教)にたいしてはネガティブ、忌み嫌っている。
「やれやれ」というスタンス。(とくに初期)
もっと大視点としての”信仰”に対しての賛美はあるのではないか
 
●父と母(親)に対してのスタンス、春樹自身の家庭環境?
父母の関係、父不在、母も母なる存在としては不在。
「スポイル」という言葉を思い出す。
 
  *本人はどうなんだっけ?
   父は国語教師? (両親とも?)祖父が僧侶で父はかなり厳格だった。
親との関係は、1Q84では強い。
初期は親のことはまったく登場しなかったのが中期から変化が。
 
  *蜂蜜パイのラストシーンの「変化」すごいよね
 
●「森」
p109 ー様々な動物がだまし絵のように森の中にひそんでいた。中には見たこともないような恐ろしげな獣も混じっていた。(中略)でも恐怖はなかった。だってそれは僕自身の中にある森なのだ。僕自身をかたちづくっている森なのだ。僕自身が抱えている獣なのだ
 
森=自己の内面であり、それと向き合うことで闇をくぐり抜ける。
関連:長編でいうとカフカ。古い兵隊のいる森。
 
●野球ー父ーダンス
ダンス、大きなもの、地面の律動や自然の音に身をまかせるという行為? 
原始的なダンスってそういえば宗教と親密だと思った。
 
関連:ダンスダンスダンス。 ー音に合わせて精一杯うまく踊るんだよ
 
以上。
 
解釈はまた別に書くつもりです。
感想よろしくです〜